SOMEDAY (1981年 佐野元春)
今回は、佐野元春さん。
永遠のロックンローラー。あの尾崎豊も大きな影響を受けたというビッグネーム。たった一つの音に、一息で多くの言葉を乗せる大胆な技法は、尾崎の曲作りに自信を与えたと、尾崎の回想記か何かで読んだ記憶があります。
SOMEDAYは、佐野さんのファンでない方も一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。名曲の一つです。
1981年の作品ですから、1975年生まれの私はリアルタイムで聴いたわけではなく、10年後の1991年、高校1年生のときに、佐野さんのファンだったクラスメートに勧められて、放課後の教室で初めて聴きました。
よく、教室で友だちのウォークマンのイヤホンを片方借りて、そいつの聴いてる音楽をちょっと聴かせてもらうなんてこと、ありましたよね。その相手がちょっと気になる女の子だったりしたら、それだけでその日はハッピー、思う存分舞い上がることができましたよね(笑)。
今の子だったら、スマホでスピーカーONにして、みんなで聴くのでしょうか。なんか、それだと味わいがないんだよなぁ……と思うのは、私が立派なオッサンと化したという動かぬ証拠なのでしょう。
まだ16歳の、どこにでもいるフツーの男子高校生だった私も「なんかカッコいいな」と思いました。イントロ(CD版のイントロは、よく聴くと、都会の雑踏の音が入っているのがお洒落です)から、ちょっと切ない感じで、歌詞も印象的でした。
とりあえず気に入ったので、学校帰りに近くのレンタルショップに寄って、ベストアルバム「No Damage」を借りて、ダッシュで帰宅してカセットテープにダビングして、またダッシュで返却に行きました。当時、CD1枚借りるのにもけっこうお金がかかりましたけど、「当日レンタル」だと、100円くらいだったんですよね。
自転車通学でしたから、行き帰りのウォークマンでもよく聴きましたし、家でもよく聴いていました。とはいえ、当時はそれほどファンというわけでもなかったです。
この曲は……30代に入ったあたりから、急に胸にしみるようになりました。
~♪
街の唄が聴えてきて
真夜中に恋を抱きしめた あの頃
踊り続けていた
夜のフラッシュライト浴びながら
時の流れも感じないまま
窓辺にもたれ
夢のひとつひとつを
消してゆくのは つらいけど
若すぎて何だか解らなかったことが
リアルに感じるこの頃さ
~♪
「あー、こういうことだったんだな」と、妙に寂しい気分になったのを覚えています。私は10代の頃に描いた夢をけっこう長く追いましたけれど、20代の終わり、現実に負けて望まない仕事に就いていた頃で、ようやく、この歌詞の意味を始めて理解したわけです。ちょっと泣きそうになったのを覚えています。
ただ、この曲はだからといって投げやりになって生きるというのではなく、「それでも前を向いて生きよう」いうメッセージが込められていると思いますので、前向きな歌でもありますよね。
高校を卒業する頃、「No Damage」は自分でCDを買って、今でも持っています。
(ディスク表面の「そっけなさ」が、なんとも80’sの雰囲気で、懐かしいです。)
今、何年かぶりに古いCDを取り出して眺めていて、初めて思ったのですが、「ノー・ダメージ」っていうタイトルは、もしかしたら逆説的な意味なのでしょうか。若いころは文字通りに「ダメージなんて受けないぜ!」という意味だと思っていたのですが、今回改めてSOMEDAYを聴いてみると、暗に「(打たれ続けて)ダメージばっかだぜ……」という意味が込められていたりもするのかなと……。「もうボロボロだ。でも、倒れないぜ」というメッセージだったりするのでしょうか?そうだとしたら、これはカッコいいと思います。
あくまで私の想像です。私の感性では、本当のところはよくわかりません(笑)