72を切りたい!ゴルフを愛するアマチュア中年オヤジの「ゴルフ本」レビュー

~ゴルフレッスン本の感想、ゴルフあれこれ、その他いろいろ。気の向くままに~

新しい職場。

 お久しぶりです。皆様はお変わりなく、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

 

 転職後、新しい職場に慣れるまで時間がかかり、この頃ようやっと少し落ち着いてきたところです。

 

 職場というのは当然ながら、それまでに長い時間をかけて出来上がっているその職場なりの「秩序」があるわけで、その中に新人が突然入ってくるというのは、それまで形成されていた秩序の穏やかさに少なからず波紋を投げかけることになるわけです。

 

 それが新卒の方々によるものなら、そんな波紋も程よい季節行事の一つでしょうけど、40代以上の中途採用となると、季節外れにいきなり見知らぬ人間がその秩序の中に放り込まれてくるわけですので、少なからぬ戸惑いを周囲に与えてしまうものです。

 

 初日からしばらくは、とりあえず与えられた机に座って周囲を眺めていることしかできないわけですから、まず人の名前と顔を覚えることに集中していました。そして、相手は「なんだ、こいつは」と怪訝な顔をしていても、とにかくその方のお名前を呼んで、その方がはるか私より年下のお若い方であっても、失礼のないように話しかけることを意識していました。丁寧に名前で呼ばれると、たいていの方はちゃんと応じて下さるものですから。

 

 慣れない席に座り、特に何もすることがないままではありましたが、聞き耳を立てる、というほどではないんですけど、周囲の人の話とか、電話応対の内容とかをチェックしながら、新しい職場の環境を理解することに努めていました。

 

 以前は、少ないながら部下を持って仕事をさせていただいていた私も、新しい職場では、右も左もわからない、単なる新人です。しかも中年の。

 

 42歳の新人は、新たな上司に連れられて関係各部署に挨拶回りに行っても、それほど親切にしてもらえるわけでもなく、「ああ、よろしく」程度のお言葉しかいただけず(笑)。もちろん誰も自分の仕事がありますので、中途採用の中年にかまっている暇はない、というのが本音でしょう(笑)

 

 お昼ごはんを食べに社員食堂に行っても、誰も一緒に昼食を楽しんでくれる人はいないわけですから、一人でポツンとたべたり。こういうのは、いくつになっても、なかなか切ないものです(笑)。

 

 私は経験がないのですが、子どものころに、転校して新しい学校に移られた方などは、きっとこういうご経験をされているんだなあ、なんて思ったり。

 

 中年で、まったく経験のない異業種に転職すれば、まあこんなものだよね、というところでした。

 

 オフィスの机に座っても、特に何もできることはなく、周囲の様子をさりげなくうかがい、観察しながら、今後の自分に何ができるのかを考えて時間を費やしたり。

 

 でも、ようやっと慣れてきました。

 

 同僚の人たちと気軽な雑談も少しはできるようになり、他の部署の人たちからも少しづつ声をかけていただけるようになり、社員食堂のおばちゃんには、小食の私に、「アンタねぇ、まだ若いんだから、いっぱい食べないとダメだよォ」なんてご飯を無理やり大盛にされたり(42歳って、若いのでしょうか笑)。たまたま相席になった人と、プロ野球や、開幕したばかりのサッカー、ワールドカップロシア大会の話などをしながら、お昼ごはんを食べることもできるようになりました。

 

 だいぶ新しい職場の様子もわかってきたので、そろそろ自分にできることを、一つずつ、微力ながらも発揮していこうと思っています。「様子見」の時間は終わりですね(笑)。

 

 40代の転職では、いかに異業種への転職とはいえ、求められるものは新卒の方々とは違うという、ある種の厳しさがあります。今までの経験をフル活用して、未経験ではあっても即戦力たることが期待されます。実際、そのような期待をかけていただいていますし、それは大変光栄なことだと思っていますので、そろそろギアを上げて、仕事にスピード感を出していこうと思います。

 

 ゴルフ練習場にも、行けるようになりました。しばらく行けていなかったですが、心機一転の再開です。

 

 本ブログの中核「ゴルフ本レビュー」でも、書きたいことはいっぱいあります。ご紹介したい本は、いっぱいあるんです。

 

 私の住んでいる千葉県の小さな町は、今日は雨でした。半袖一枚では寒いほど、空気はひんやりとしていました。

 

 梅雨の季節、どうぞ皆様もお身体ご自愛ください。

 

 今後ともよろしくお願いいたします。

クリスマス・イブ (1983年 山下達郎)

 6月に入り、これから鮮やかな緑色の映える初夏の季節ではありますが、今回はこの方です。「君は1000%季節外れ!」の一曲です(笑)

 

 山下達郎さん。

 1983年リリースの一曲ですが、有名なJR東海のCMでよく覚えている、という方も多くおられると思います。

 

 1975年生まれの私は、この曲がリリースされた1983年当時のことはほとんど覚えていませんが、1980年代後半から流れていたJR東海のCM、「クリスマス・エクスプレス」で、強く印象に残っている一曲です。

 

 「雨は夜更け過ぎ~に 雪へと変わるだろ~♪」で始まるこの曲は、どなたでも、どこかで一度は耳にされたことがあると思います。

 


【CM 1988-92】JR東海 X'MAS EXPRESS 60秒×5

 

 CMは様々なバージョンがあって、深津絵里さん、牧瀬里穂さん、吉本多香美さんなど、その時代を彩る女優さんがヒロイン役を務めておられますが、私は1990年オンエアの「X'mas EXPRESS'90」、高橋理奈さんのバージョンがいちばん好きです。

 

 私は1990年は中学3年生で、翌1991年に高校1年生となるわけですが、そんな時代の、冬の都会の街の雰囲気が短い時間の中に凝縮されているようで、大好きなバージョンです。

 おそらく繋がらなかったのでしょう、ヒロインの高橋さんが残念そうに受話器を置く緑色の公衆電話のシーンから始まるこのバージョンは、なんとも切なくて、傑作だと私は思います。

 

 達郎さんの音楽は今でも大好きで、クルマを走らせるときにもよく流しています。特に冬になると、「クリスマス・イブ」は欠かせませんが、ちょうど今の時期から夏真っ盛りにピッタリの素敵な曲も多くあって、大好きな歌手の一人です。

 高気圧ガール(1983年)

とか、

 世界の果てまで(1995年)

とかは好きですね。その他の曲も大好きです。

 

 それにしても、つい当時の「クリスマス・エクスプレス」のCMを今でも楽しめるyoutubeさんのリンクを貼ってしまいましたけど……

 

 この映像をごらんになって、「もう今日は仕事をする気がなくなった」という方がいらしゃったら……

 素直に謝ります。大変、申し訳ございませんでした。私自身、この記事を書きながらすでに何もする気がなくなって、どうしようかと思っております(笑)

 

 この記事につられて、どうか竹内まりやさん「駅」「シングル・アゲイン」などをyoutubeで検索されませんように……

 

 お仕事も、ゴルフもなにもかも、投げ出してしまいたいというお気持ちになられても、私は責任を負えませんので……

42歳の転職。

 私事ですが、この度転職いたしました。

 

 15年のキャリアを積んだ専門職とお別れして、まったく経験のない異業種に飛び込みました。今までのキャリアを活かした「キャリア転職」ではなく、まったく新規の転職で、42歳で「ピッカピカの1年生」となりました(笑)

 

 その手続きやら、準備やら、慣れないことが多いやらで、最近ちょっと記事の更新が少なくなってしまっておりました。

 

 新しい世界は、何も経験がないので、思っていたとおり、なかなか大変です(笑)

 

 新しい環境に慣れるまでは、ちょっと今までのようにラウンドしたり、練習場に行ったり、好きなゴルフ本読書を楽しめる時間も取りずらくなるでしょう。家族と過ごせる時間も、慣れるまでは、今までのようには持てなくなるかも知れません。

 

 早く慣れて、今までの生活ペースを取り戻そうと思っております。

 

 かねてから思うところあっての、42歳という年齢で、覚悟の上での転職ですが、がんばっていこうと思います。おそらく、この新しい仕事で、職業人としての人生を終えることになると思っています。

 

 まあ、なんとかなるでしょう。まずは1年、新しい仕事のカレンダーの一巡を体験して、それからが勝負だと思っています。

 

 中年の転職ですから不安もあるというのが正直なところですが、今までも社会人をやってきたわけですから、今までの経験は、異業種であっても何らかの形で役に立つでしょう。そう考えるようにしております。

 

 それにしても、この年齢での転職は、大変貴重な経験となりました。また、何かしら転職にまつわる記事なども書かせていただこうと思っております。

 

 今回は、このあたりで。

 

 みなさま、本日も一日おつかれさまでした。

 

 明日も、いい一日になるといいですね。

トム・ワトソンゴルフコース

トム・ワトソンゴルフコース <タイプ:林間コース>

 

〒880-0836 宮崎県宮崎市山崎町

Tel:0985-21-1502

 

http://twgc.seagaia.co.jp/

 

 ずいぶん前ですが、私が家族と一緒に回ったコースです。

 

 ある年末に、家族でゴルフ旅行をしようということになり、12月末から新年にかけて、宮崎のフェニックス・シーガイア・リゾートに宿泊して、南国・宮崎観光とともにプレーしたコースです。

 

 名門で格式高いフェニックスカントリークラブに対して、比較的カジュアルな感じです。ホームページや雑誌などを拝見して知る限りですが、最近では、ナイター営業も行われているようです。

 

 私がお邪魔したときは、トム・ワトソン独自のクラブハウスがなく、フェニックスのクラブハウスを使うことができました。あの格調高い雰囲気のクラブハウスを使えたのは、ちょっとおトク感がありました。

 

 練習場も、有名な「フェニックスゴルフアカデミー」の練習場を使うことができて、素晴らしい練習場でした。

 

 そして、私にとっては、実の父と最後に一緒に回ったコースとなりました。

 

 私は当然、あの有名な「フェニックスカントリークラブ」でプレーしてみたいと思いましたが、当時、父に、18ホールを歩きでプレーできる体力はありませんでした。それでも「もう一度、ゴルフがしたい」という父の希望もあって、乗用カート、しかもフェアウェイ乗り入れでプレーできるトム・ワトソンを選んで、父と私、実弟、私の妻の4人でプレーしました。

 

 かつて川奈が大好きで、70台でプレーしていた腕利きの父の面影は、もはやありませんでした。前に飛ばすのがやっと、どうにかグリーン回りで、経験値の高さをもってスコアをまとめていく、という感じでした。正直なところ、東京から遠く宮崎まで旅行すること自体、大変なことだったのだと、今は思います。

 

 首都圏のゴルフコースのように、昼食休憩というのはありません。前半を終えると、休憩所でごく軽い軽食を取って、すぐに後半のスタートという流れです。実質スループレーのようなものです。

 

 父は休憩所で食欲もなく、処方されている多くの薬を飲み、それでも心から楽しそうに笑っていました。生来のゴルフ好きに加えて、自分の息子2人と、その妻とのラウンドを、最後までやり抜きたいと、そんな感じでした。父は時代遅れのパターを杖がわりに、最後は倒れそうになりながらも、誰にも迷惑をかけることはせず、終始笑顔で、18ホールをプレーしました。

 

 それが、父にとっての、生涯最後のラウンドとなりました。父はまだ存命ですが、もうコースに出ることはないでしょう。

 

 そして、いろいろな事情があって父とは不仲だったままの、そして不仲なままで終わるであろう私の、優しいけれどもほろ苦い、切ないラウンドとなりました。

  

 関東以北ならただ寒いだけの年末、南国宮崎ならではの暖かい陽ざしに包まれた一日の、どうということのない素人ゴルファーの家族ラウンドを、いろいろなことは抜きにして、私は忘れることはないつもりです。

 

 その日のスタートホールで、サービスの写真屋さんに撮っていただいた一枚の写真は、小さな写真立てに入れて、今でもわが家のリビングの片隅に飾ってあります。愛用のドライバーを片手に、父は笑顔で、その一枚の中におります。

 

 そんな写真を見るたびに、私は自分の選んだ人生が正しかったのかと……

 

 夜更けに一人、いろいろなことを恥じ入るばかりです。

 

 やはり隣接する「フェニックス」が有名ですが、トム・ワトソンも素敵なコースです。多くの林間コースがそうであるように、ホールが進んでも景色はあまり変わらないものが続きますので、やや単調というところはありますが、ミスショットは容赦なく(左右の厳しい松林へ)「弾かれる」コースですから、挑戦しがいのあるコースだと思います。

 

 九州のコースは素敵なコースも多いですし、旅行会社のゴルフプレーのパッケージなども(北海道などと並んで)多くありますから、ぜひ一度、ご家族やお仲間などと、おいでになってはいかがでしょうか。

 

 コースを回った私の思い出といえば……

 

 当時はまだゴルフを始めて間もない頃だったので、そうですね、途中のホールの林の中で7Iを忘れてきてしまって、ラウンド終了後に妻とカートに乗って探しに行って、切り倒したままになっていた大木のわきに、その7Iを見つけて安堵したことくらいでしょうか(笑)

 

 その後、仕事でも出張で九州には頻繁にお邪魔しましたが、私は九州で、一度も嫌な思いをしたことはありません。仕事ではやっぱり九州経済の中心地、博多や天神、久留米が多かったですが、出会った方々はどなたも素敵な人ばかりでした。仕事の関係者はもちろんですが、知らない街で通りすがりにちょっと道を尋ねただけの方も私の行く先を丁寧に教えて下さいました。

 

 食べ物もどれもおいしくて、私は九州には良い印象しかありません。奇遇なことに、私は義理の母が佐賀県の出身なので、佐賀にも何度かお邪魔しましたが、良い思い出しかありません。

 

 関東や関西在住のゴルファーの方も、ぜひ一度、九州でプレーされてはいかがでしょうか。素敵なコースはいっぱいありますし、素敵な方ばかりですし、食べ物もおいしいですし。

 

 きっと、思い出に残ると思います。

 

 そうそう、佐賀県の港町、玄界灘に面したところに、呼子(よぶこ)という街があります。この街のイカ刺しは絶品ですので、ご存知ない方はぜひ一度、いかがでしょうか。最近では、博多や天神の居酒屋さんなどでも、活きのいいものを楽しめると聞きました。特に私のように、関東でお育ちになった方は、その新鮮さと美味しさに、驚かれると思いますよ(笑)

 

 それでは今回は、このあたりで。

 

 おやすみなさい。

小さなことですが

 先日、夜中に暇つぶしに古い映像をみていました。

 

 もう25年前の、ある野球の試合です。

 

 どうということのない地方大会の試合を、地元のケーブルテレビ局が撮ってくださったもので、私の高校時代、最後の夏の試合です。

 

 今の映像のように鮮明な映像ではない、1990年代初めの映像で、古いVHSテープに残されていたものを、どういうわけか折り合いの悪い父が、業者さんに頼んでDVDに残してくれたものです。

  

 私は疲れたとき、昔の映像をみることで、逆に前に進もうとする思考があり、そのときも少し疲れていたのでしょう、古い映像を、リビングのテレビで眺めておりました。

 

 小さな地方のケーブル局とはいえ、テレビ局さんが撮ってくださっただけあって、古いですが、よく撮れていて、43歳になろうとする今、画面の中には17歳の私がおり、なんともふしぎな気分になります。

 

 お茶を入れながら、その映像を眺めていた妻が、

 

 「これは、あなたにとっての甲子園やったんやね」

 

 そう言いました。

 

 私は即座に否定しました。弱小の公立高校どうしが対戦する地方大会の試合など、レベルからいえば、いわゆる「高校野球」のレベルにすら遠く及ばないものです。現役時代から思っていたことですが、仮に中学の選抜チームと戦ったら、負けるだろうなと(笑)。そんなレベルの試合の、どうということのない映像です。

 

 「それでも、これはあなたにとっての、甲子園だと思います。」

 

 妻はそう言いました。

 

 おそらく、私にとって、この後どれだけ長生きしても聞くことができないであろう言葉の一つを、私は妻から聞きました。

 

 当たり前ですが、17歳の私は、そのとき将来の妻となる女性など、知りはしません(だいたい、その試合のスタンドでは、当時交際していた女の子が応援に来てくれていましたしね笑)。そのとき、私の存在など知りもしなかった妻も同じでしょう。まさか、こんなどうしようもない男の妻になるとは、夢にも思わなかったでしょう(笑)。

 

 その試合から長い年月が過ぎて、私の妻になってくれた女性が、今まで誰も言ってくれなかった言葉をかけてくれました。それが、「これはあなたにとっての、甲子園」という言葉です。

 

 そのとき、私は「それは、高いレベルで野球に打ち込んだ方々に失礼だよ」と、笑ってごまかしました。正直、私などのレベルでは、野球をやったうちには入らないのです。野球というスポーツに関しては、好きこそなんとやらで、知識だけはおそらく人並み以上に(きっと、ゴルフに関する知識をはるかにしのぐほどに)持っているつもりですが、ずっと控え選手で、最後の最後にようやっとひとケタの背番号をもらって、運よく最後だけレギュラー扱いを受けただけという。

 

 でも、ひとケタの背番号をもらうためだけに、当時の私は、できることは何でもしたつもりです。才能のない選手が表舞台(誰もみていませんが笑)に立つには、どうすればいいのか。考えつく限りのことは、すべてしたつもりです。

 

 古い映像から、妻はそれをわかってくれました。野球のことなど、何も知らないにもかかわらず、です。

 

 妻に気づかれないよう、ちょっと泣きそうになりました。

 

 どうということのない中年となった今、どなたにとっても、その方にとっての「甲子園」があるんだな、もしくはあったんだなと思います。誰も気にもとめない、小さな出来事であったとしても、その方の生涯の支えとなる「甲子園」というものが、大なり小なり、どなたにもあるんだと思います。

 

 それは、きっとあてどない人生を前に進めてくれる、客観的にはどれだけ小さなものでも、その方にとっては、かけがえのないものなのだと思います。どなたにとっても、そういう「小さな甲子園」というのは、あるのではないかと思います。

 

 今回はこのあたりで。なんとなく眠れず、こんな時間の投稿となりました。

 

 夜明けが早くなりました。皆様におかれましても、どうぞ今日の一日が素敵なものとなりますように。

 

 今日は、そうですねぇ、夜になったら、練習場に行くとしましょう。最近取り組んでいる、スイングの課題があるもので……それを身につけたら、80台が切れるかな?(いや、ダメかも)

 

 早朝で変ですが、おやすみなさい(笑)

どの説も正しい。

 「ゴルフ本レビュー」という本ブログのタイトルのとおり、私はレッスン本を読むのが大好きです(そのわりに、「レッスン本レビュー」の記事が少なくなっている今日この頃ですが、どうかご容赦ください笑)。

 

 記事をお読みいただいている方の中には、「このオッサン、こんなに本読んでどーすんだ?」「どれか一冊に集中して、そのレッスンに集中すればいいのに」とお思いになる方もいらっしゃるかも知れません。

 

 確かにそのとおりで、そう言われると返す言葉もなく、「すみません、好きなもので」というより他にないのですが……(笑)

 

 私は社会科学系を専攻した人間なので、より現象に対して厳しい姿勢を持つ自然科学系の論争の世界では、また私の知らない考え方があるとは思うのですが、

 

 ある問題点に対して、その解決策としてA説B説という、異なる説が展開されているとします。いずれも自説が正しい、妥当であると主張しているとします。

 

 このとき、学習者である自分がA説とB説のどちらを選ぶか、言い換えればその問題点の解決策としてA説とB説のいずれに依拠するかというのは、結局は自分の価値観、端的にいえば好みとか相性によって決めることになるわけですが、いずれの説を選ぶにしても、その説を理解し納得するためには、その反対説も理解する必要があると思うのです。

 

 「A説を採用する。だからA説を学ぶ。他の説には目もくれない」という学習の仕方は確かに一途で、迷いのない純粋な学び方ではあります。しかし、「A説を採用する。だからA説を学ぶ。でもB説も間違っているというわけではない。だから、同時にB説の主張することも、A説を理解するために学ぶ」という学習の仕方も大切だと思います。

 

 異なる説であっても、自分の採用する説をより理解するために学ぶというのは、とても大切なことだと思います。同時に、それは「へー、こういう考え方もあるんだなぁ」という素朴な形で、自分とは違う考え方を展開する人への敬意にもなるとも思います。

 

 往々にして、ある問題点に対する解決方法としてA説とB説があり、両者が対立するとき、それは問題解決へのアプローチの方法が異なるだけで、「その問題を解決する」というゴールは共通するものです。

 

 ちょっと大げさな例になりますが、「世界の平和を実現する」という問題があるとき、世界の平和を実現するためにAという方法とBという方法があり、両者はまったく(一見、両者は相容れない)異なるアプローチをとるものだとしても、目指すところは「世界の平和を実現する」という点で何ら異なることがないわけで、その違いは価値観とか好みとかによるものでしかないわけです。

 そうであれば、Aという方法をとる場合でも反対のBという方法の言いぶんにも耳を傾け、逆にBという方法をとる場合でも反対のAという方法の言いぶんにも耳を傾けるという姿勢の方が、自分が選ぶ(依拠する)方法をより深く理解できる、ということにつながるわけです。

 

 だから私は、ゴルフというものに関するいろいろな理論を読んでいるわけです。決して手当たりしだいに何でもやってみるだけ、というわけではないんです(笑)。

 

 先日の記事で書かせていただきましたように、私は坂田信弘先生の素敵な記事でゴルフのスイングは体重移動態スイング」「回転態スイング」に分けられるということを知ったわけですが、私は「体重移動態スイング」という方法を選びたいわけです。

 

 だから、体重移動態スイングを展開していると思える本(たとえば、谷将貴先生の本)だけを集中して読み、練習に励み、その他の方法論はすべてシャットアウトするという選択肢もあるとは思うのです。でも、体重移動態スイングを理解し身につけるためには、回転態スイングというものを展開している本も読み、ときにはそのスイングを真似しようと努力してみることも大切なのでは、と思うわけです。どっちにしたって、ベストのスコアを目指すというゴールに変わりはないわけですから。

 

 今回は、ちょっと理屈っぽい記事となってしまいました。

 

 いずれにしても、自分の価値観や好みとは違う考え方や方法論があり、その主張をも学ぶことは、結局自分が良しとする考え方や方法論の理解を深めることにつながるのではないかと思っております。

 

 今回は、このあたりで。私の住む千葉県の小さな街では、静かに雨が降っています。静かな雨は、季節外れの、少しの寒さをも運んでくれます。

 

 みなさんの街は、どのようなお天気でしょうか?

カズさん。

 カズさん。三浦知良、KAZU、KING・KAZU、カズ。

 

 サッカーを知らない方でも、そのお名前は知っているという方がほとんどと思われる、わが国における国民的スーパースターのサッカー選手、三浦知良さん。

 

 私は大ファンで、カズさん関連の本は、ほとんどすべて読んでいると思います。「いちばん好きなスポーツ選手は?」と問われたら、プロ野球選手でもプロゴルファーでもなく、私は即答で「カズ」と答えるでしょう。カズよりカッコいいスポーツ選手を、私はまだ知りません。

 

 とにかくすべてがカッコいい!

 

 心底から「こういう人になりたい!」と思える、とても素敵な方です。

 

 ワールドカップ(1994年アメリカ大会)出場の夢を後半ロスタイムで打ち砕かれた、今でも伝説的な一戦ドーハの悲劇」、そして迎えることになるJリーグ開幕前夜、当時野球に夢中でその他のスポーツについてはほとんど興味のなかった私は、当時メディアが時代の寵児として盛んに取り上げるカズにも、それほど興味があったわけではありませんでした。「何か、ブラジルでサッカーやってて、プロだったすごい人らしい」というくらいの認識でした。1994年の春に高校を卒業してからも、私にとってスポーツとは野球がすべてで、その他の競技にはあまり興味を持っていませんでした。

 

 「サッカーって、すごく面白いな!」と興味を持ったのは、1997年、ワールドカップ初出場を目指す日本代表が、1998年フランス大会の切符を賭けて挑んだアジア最終予選でした。

 

 1997年9月7日、初戦をホーム国立競技場(東京)で、ウズベキスタン代表を迎え撃つ初戦、当時の日本代表の2トップ、城彰二選手とともにボールにひざまづき、祈りをささげてキックオフ。その光景をテレビ中継で見て、ちょっと引き込まれてしまったのです。私は当時サッカーに関する知識は皆無でしたが、この試合をきっかけにサッカーを楽しむようになって、今では「イッパシ」のつもりでおります(時代遅れでも、3-5-2、が好き。特に「フラット・スリー」が笑)

 

 その後、1997年9月28日、ホームで永遠のライバル・韓国代表を迎え撃つ、この最終予選の雌雄を決する一戦は、後半21分、山口素弘選手(モトさん)伝説的、そして芸術的なループシュートで先制し、加茂周監督FW呂比須ワグナー選手に替え、センターバックにDF秋田豊選手を投入して逃げ切りを図るも逆転負け、次戦のアウェイ、1997年10月4日カザフスタン戦後に更迭(後任には、岡田武史ヘッドが内部昇格)となる引き金を引くゲームとなりましたが、韓国代表の厳しいマーク、ディフェンスによりカズさんは負傷、その後はベストパフォーマンスでプレーできない状態となりました。

 


山口素弘 伝説の芸術的ループシュート 1997年日韓戦

 

 その後も日本代表は苦戦を続け、それでもどうにかアジア第三代表の権利を賭けたプレーオフ、1997年11月16日、今でもジョホールバルの歓喜として有名な一戦、当時のイランの国民的英雄と誉れ高いアリ・ダエイ選手を擁する難敵、イラン代表との戦いに挑むことになります。

 

 諸般の事情から第三国であるシンガポールジョホールバルで行われた運命の一戦、カズの時代が終わります。後半18分、岡田監督は、なかなか試合を決定づけることのできないFWをチェンジ、フィールドでは審判が、選手交代を告げるボードを持ってライン際に立ちます。ボードには「11」のナンバー、カズは自分の胸に刻まれた「11」を示しながら、「俺か、本当に俺なのか」というジェスチャーを見せます。

 

 当時、最終予選で苦戦を続ける日本代表に対して、容赦ないバッシングが浴びせられていました。その矛先は、いうまでもなくカズに向けられ、台頭していた新世代の中田英寿選手への注目もあり、「カズ不要論」が吹き荒れていました。そんな状況で、韓国戦での負傷も隠してプレーしていたカズさんの「時代」に終わりが告げられた瞬間でした。

 

 岡野雅行選手(野人)の劇的なVゴールでその試合に勝利した日本代表は、ついにワールドカップ初出場を果たします。

 

 サッカー界最高の晴れ舞台であるワールドカップに初めて挑む日本代表メンバーの名前に、カズの名前はありませんでした。

 

 私見ですが、2018年を迎え、「平成」の世も終わりを告げることが決まった今のほうが、カズの人気は、すごいと思います。1990年代前半、カズが「スーパースター」として日本に帰ってきて、Jリーグが発足し、多くの方々がサッカーという競技の面白さを知った時代よりも、今の方がカズの人気はあるのではないかと思っています。1990年代、カズはスーパースターである故に「アンチ」も多かったと思うのですが、2018年の今、アンチは少ない、もしくはほとんどいないのではないかと。

 

 すべては、フランス大会に挑む代表メンバーから落とされたときの、カズの記者会見にあると思います。あの記者会見で、カズの魅力、凄さに、多くの人が改めて気づいたのではないでしょうか。

 

 「日本代表としての魂は、フランスに置いてきた」

 

 そう一言、あとは記者の方々の、ちょっと無遠慮な質問にも淡々と応じ、うらみがましいことは一切言わなかったカズ。そして、その後も決して第一線の、華々しい舞台に立つ機会を与えられなくても、何一つ不平不満を述べず、「僕はただ、サッカーが上手くなりたい」というだけで、黙々とプレーを続けているカズ。

 

 ファンは、そんな姿を、ちゃんと正しく受け止めたのでしょうね。だから、今でもカズのファンは、熱狂的に彼を支持するのだと思います。私も、その一人です。

 

 時代という名の舞台装置の中心で、華やかなスポットライトを浴び、「日本をワールドカップに連れていく」と豪語してはばからなかった男が、それを実現するだけの実力を備え、功績を残しながら、そのワールドカップの舞台に立つことはなかった。

 その意味、そしてその価値、夢破れた一人の人間がとるべき態度とか、そういったものに魅せられて、わが国のサッカーファンは、カズという人をちゃんと理解しているのですよ。

 

 自分が人生を賭けた夢を果たせなかったとき、人はどのような態度をとるのか。そしてそのあとの人生を、どのように送るのか。

 

 すべてカズが教えてくれているように思います。

 

 私もファンとして、50歳を越えて日本代表に戻れ、ワールドカップのステージに立て、とは言えない。それはつらすぎる想いですから。

 

 ただカズには、信じる道を歩み続けてもらいたい。本当の意味での、苦難などに直面したことのない、私のような平凡な中年のためにもと思うのは、私の身勝手でしょうか。

 

 今回は、このあたりといたします。

 

 みなさま、本日も大変お疲れさまでした。

 

 明日も、がんばりましょうね!