カズさん。
カズさん。三浦知良、KAZU、KING・KAZU、カズ。
サッカーを知らない方でも、そのお名前は知っているという方がほとんどと思われる、わが国における国民的スーパースターのサッカー選手、三浦知良さん。
私は大ファンで、カズさん関連の本は、ほとんどすべて読んでいると思います。「いちばん好きなスポーツ選手は?」と問われたら、プロ野球選手でもプロゴルファーでもなく、私は即答で「カズ」と答えるでしょう。カズよりカッコいいスポーツ選手を、私はまだ知りません。
とにかくすべてがカッコいい!
心底から「こういう人になりたい!」と思える、とても素敵な方です。
ワールドカップ(1994年アメリカ大会)出場の夢を後半ロスタイムで打ち砕かれた、今でも伝説的な一戦「ドーハの悲劇」、そして迎えることになるJリーグ開幕前夜、当時野球に夢中でその他のスポーツについてはほとんど興味のなかった私は、当時メディアが時代の寵児として盛んに取り上げるカズにも、それほど興味があったわけではありませんでした。「何か、ブラジルでサッカーやってて、プロだったすごい人らしい」というくらいの認識でした。1994年の春に高校を卒業してからも、私にとってスポーツとは野球がすべてで、その他の競技にはあまり興味を持っていませんでした。
「サッカーって、すごく面白いな!」と興味を持ったのは、1997年、ワールドカップ初出場を目指す日本代表が、1998年フランス大会の切符を賭けて挑んだアジア最終予選でした。
1997年9月7日、初戦をホーム国立競技場(東京)で、ウズベキスタン代表を迎え撃つ初戦、当時の日本代表の2トップ、城彰二選手とともにボールにひざまづき、祈りをささげてキックオフ。その光景をテレビ中継で見て、ちょっと引き込まれてしまったのです。私は当時サッカーに関する知識は皆無でしたが、この試合をきっかけにサッカーを楽しむようになって、今では「イッパシ」のつもりでおります(時代遅れでも、3-5-2、が好き。特に「フラット・スリー」が笑)
その後、1997年9月28日、ホームで永遠のライバル・韓国代表を迎え撃つ、この最終予選の雌雄を決する一戦は、後半21分、山口素弘選手(モトさん)の伝説的、そして芸術的なループシュートで先制し、加茂周監督はFW呂比須ワグナー選手に替え、センターバックにDF秋田豊選手を投入して逃げ切りを図るも逆転負け、次戦のアウェイ、1997年10月4日カザフスタン戦後に更迭(後任には、岡田武史ヘッドが内部昇格)となる引き金を引くゲームとなりましたが、韓国代表の厳しいマーク、ディフェンスによりカズさんは負傷、その後はベストパフォーマンスでプレーできない状態となりました。
その後も日本代表は苦戦を続け、それでもどうにかアジア第三代表の権利を賭けたプレーオフ、1997年11月16日、今でも「ジョホールバルの歓喜」として有名な一戦、当時のイランの国民的英雄と誉れ高いアリ・ダエイ選手を擁する難敵、イラン代表との戦いに挑むことになります。
諸般の事情から第三国であるシンガポールのジョホールバルで行われた運命の一戦、カズの時代が終わります。後半18分、岡田監督は、なかなか試合を決定づけることのできないFWをチェンジ、フィールドでは審判が、選手交代を告げるボードを持ってライン際に立ちます。ボードには「11」のナンバー、カズは自分の胸に刻まれた「11」を示しながら、「俺か、本当に俺なのか」というジェスチャーを見せます。
当時、最終予選で苦戦を続ける日本代表に対して、容赦ないバッシングが浴びせられていました。その矛先は、いうまでもなくカズに向けられ、台頭していた新世代の中田英寿選手への注目もあり、「カズ不要論」が吹き荒れていました。そんな状況で、韓国戦での負傷も隠してプレーしていたカズさんの「時代」に終わりが告げられた瞬間でした。
岡野雅行選手(野人)の劇的なVゴールでその試合に勝利した日本代表は、ついにワールドカップ初出場を果たします。
サッカー界最高の晴れ舞台であるワールドカップに初めて挑む日本代表メンバーの名前に、カズの名前はありませんでした。
私見ですが、2018年を迎え、「平成」の世も終わりを告げることが決まった今のほうが、カズの人気は、すごいと思います。1990年代前半、カズが「スーパースター」として日本に帰ってきて、Jリーグが発足し、多くの方々がサッカーという競技の面白さを知った時代よりも、今の方がカズの人気はあるのではないかと思っています。1990年代、カズはスーパースターである故に「アンチ」も多かったと思うのですが、2018年の今、アンチは少ない、もしくはほとんどいないのではないかと。
すべては、フランス大会に挑む代表メンバーから落とされたときの、カズの記者会見にあると思います。あの記者会見で、カズの魅力、凄さに、多くの人が改めて気づいたのではないでしょうか。
「日本代表としての魂は、フランスに置いてきた」
そう一言、あとは記者の方々の、ちょっと無遠慮な質問にも淡々と応じ、うらみがましいことは一切言わなかったカズ。そして、その後も決して第一線の、華々しい舞台に立つ機会を与えられなくても、何一つ不平不満を述べず、「僕はただ、サッカーが上手くなりたい」というだけで、黙々とプレーを続けているカズ。
ファンは、そんな姿を、ちゃんと正しく受け止めたのでしょうね。だから、今でもカズのファンは、熱狂的に彼を支持するのだと思います。私も、その一人です。
時代という名の舞台装置の中心で、華やかなスポットライトを浴び、「日本をワールドカップに連れていく」と豪語してはばからなかった男が、それを実現するだけの実力を備え、功績を残しながら、そのワールドカップの舞台に立つことはなかった。
その意味、そしてその価値、夢破れた一人の人間がとるべき態度とか、そういったものに魅せられて、わが国のサッカーファンは、カズという人をちゃんと理解しているのですよ。
自分が人生を賭けた夢を果たせなかったとき、人はどのような態度をとるのか。そしてそのあとの人生を、どのように送るのか。
すべてカズが教えてくれているように思います。
私もファンとして、50歳を越えて日本代表に戻れ、ワールドカップのステージに立て、とは言えない。それはつらすぎる想いですから。
ただカズには、信じる道を歩み続けてもらいたい。本当の意味での、苦難などに直面したことのない、私のような平凡な中年のためにもと思うのは、私の身勝手でしょうか。
今回は、このあたりといたします。
みなさま、本日も大変お疲れさまでした。
明日も、がんばりましょうね!