72を切りたい!ゴルフを愛するアマチュア中年オヤジの「ゴルフ本」レビュー

~ゴルフレッスン本の感想、ゴルフあれこれ、その他いろいろ。気の向くままに~

あしかがフラワーパーク

http://www.ashikaga.co.jp/

 

 昨日(5/13)、あしかがフラワーパーク(栃木県足利市に行ってきました。

 

 午後からはあいにくの雨となりましたが、かなりの数のお客さんが入っていました。雨のフラワーパークというのも、晴れの日とはまた違う素敵な雰囲気があるようです。

 

 花の好きな妻が以前から行きたがっていたのですが、仕事の関係や、私の休日の使い方がゴルフ優先、寝坊優先、読書優先であったりすることから、なかなか行けずにいて、今回、やっと行けました。

 

 有名な藤棚は見ごろを過ぎてしまっており、ちょっと残念でしたが、ちょうどバラが見ごろだというので、そのバラを見てきました。「ローズガーデン&バラの咲く島」というエリアがありました。

 

 私はバラはおろか、およそ花というものに一切の興味関心を持たずに生きてきましたので、バラや花について、何の知識も持っておりません。

 

 正直なところ、私はバラにこんなに種類があるのかということすら、42歳の昨日までほとんど知らなかったのです。

 

 せっかく来たのだから全種類しっかり見ようと思って、妻とひとつひとつ、のんびり見て回りました。

 

 種類や「開発」(でいいのしょうか、素人なのでちょっと言葉がわからず、すみません)された園芸家の方のお名前、簡単な説明書きのある札をみると、日本、海外と、いろんな方がおられるようです。

 どれも見事なバラの花を咲かせることに情熱を傾けられている方々の一途さを想像してみたのですが、素人の私にはちょっと上手く想像できず……でも、とても大きな情熱をお持ちなのだろうなぁ、と思いました。そういう情熱を持つことができるということに、あこがれを感じました。

 

 どれも見事で、とてもきれいでした。知識のない素人の私が、直感的に気に入ったのは、これです。

 

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(右下の説明札:「うらら」 1993年。ショッキングピンクで育てやすい。1995年JRC金賞受賞)

 

 雨にもかかわらず、多くのお客さんが見事なバラの数々を楽しんでいました。きっとご自身も趣味で園芸を楽しまれているご様子の方も多く、そういう方々は、もう楽しくて仕方ないんだろうなぁ、なんて思いました。

 

 園内を歩いていて、ふと思ったのですが、素敵なバラの花の数々に囲まれて、不機嫌そうな方っていないんですよね。もちろんその方の内心までは見えないからわかりませんけども、少なくとも私には、みなさん楽しい時間を過ごされているように見えました。

 

 人を笑顔にしてくれる花っていうのは、すごいチカラをもつものだなと思いました。でも一方で、何かその方にとって悲しい思い出とか、つらい記憶を呼びおこす花というのも、きっとあるんだろうな、とも。

 

 いずれにしても、チカラのあるものなのですね。

 

 その後は、帰路途中にあった道の駅によって野菜を買って、食事をして、帰宅後は「西郷どん」も観ず、録画しておいたツアー中継も観ずに、すぐに寝てしまいました。 

 

 今度本屋さんに行ったら、バラについて私でも楽しめるような簡単な本を探して、買って読んでみようと思います。

練習器具。

 私はゴルフを始めてから、ほとんど「練習器具」というアイテムを使ったことがありません。

 

 ショップに行くと、実にいろいろな練習器具を売っていて、いくつか買ってみたこともあるのですが、すぐに使わなくなり、捨ててしまいました。

 

 今わが家にあるものといえば、ありふれたパターマットのほかには、ショートクラブがあるだけ。ショートクラブは、狭い部屋の中でも振れるのと、スイングにおけるいろいろなポイントのチェックに大変便利なので、毎日使っています。

 

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 (コレ。3,000円くらいで買いました。一日数分でもグリップしないと落ち着かないので、重宝しています。)

 

 でも、それ以外の器具は、たとえばスイング練習用の長い棒とか、一切使ってないんです。

 

 なぜかというと、それらは「本番で使えないから」です。実にいろいろな練習器具がありますが、それらはすべて「実際には使うことができない」ものばかりです。

 

 練習器具という「実際には使うことができない」アイテムを使って練習することによって、逆説的に「実際に使うことができる」もの、すなわち実際のスイング、ショットの向上に役立つというのは頭では理解できているつもりなのですが、直感では、なんとなく「本当にそうなのかなぁ」と思ってしまって。

 

 実際のプレーで、ショットのときに、たとえばショットの前にグニャグニャしたスイング練習機を数回振ってからショットするとか、方向を確認できるアライメントスティックを置いてショットするとかは、できないわけですよね。それなら、普段の練習も、そういうアイテムは使わず、ただ自分の身体とゴルフクラブだけを使って、実際に行うことができるショットの練習をした方が良いのでは……と思ってしまうんですね。

 

 練習器具を使うというのは、いわゆる「練習のための練習」になってしまう気がして。実際には使うことができないものを使っても、あまり意味はないのでは……と思うのです。

 しかも、練習器具ってモノにもよりますが、けっこうな値段するんですね。そのあたりに、なんとなく、こういう練習器具を作って売っている方々の商業戦略を想像してしまうのは、私の心の狭さでしょうか(ごめんなさい)。「ゴルフ好きはけっこうお金を使うから、なんか役立ちそうなアイテムを作れば、飛びついてくれるんじゃないか」とか……(笑)

 

 いや、そういうアイテムを否定しているわけでも、作っている方々を否定しているわけでもないんです。練習器具を使わないというのは、ただ単に、私の好みです。

 

 でも、あくまで25年も前に末端レベルの高校球児だった私の知る限りですが、たとえば野球の世界で、打者のスイング軌道をチェックするための練習器具なんて、ほとんどないと思うんですよ。せいぜい、実際に使うバットを軽く感じさせるために使う重たいバットとか、バットに装着する重りのリングとか。投手が投球フォームをチェックするための練習器具があるとすれば、古典的ですけど自転車のチューブを電信柱とか木に結び付けて引っ張るとか、シャドーピッチングといってフォームを確認するときに抵抗を感じるために利き手にタオルを一枚持つくらいです。あとは実際の公式球より少し重めの練習用ボールですが、これも実際に投げると肩を壊すので、握ってリストを鍛えるために使うものですし。

 打者は実戦と同じように実際にバットを振り、ボールを打って技術を高めていきますし、投手も実際に(キャッチャーを座らせて)ボールを投げて、技術を高めていくわけです。何か練習のときだけ使うことができて、実際の試合では使うことができない特別なアイテムを利用する(ただし、筋力アップその他、トレーニング用のアイテムは除きます。)ことで、技術を高めようと思っている選手は、おそらく、あまりいないのではないかな……と。

 

 おそらくサッカーとかバスケとか、テニスとか卓球とか、他のスポーツも、同じようなものなのではないかと思うのですが。

 

 それなのに、ゴルフだけが、(少なくとも私にはよくわからない)練習器具であふれているような気がします。

 

 もっとも、ツアー会場などで実際に第一線で活躍するプロゴルファーの練習風景を見学していると、いくつかの練習器具を使っている選手も多いんですよね。宮里優作プロも、ショット練習前にスイング練習機を使っていましたし。ツアー会場でスタート前の選手の練習を見ていると、アライメントスティックとか、けっこう使っている方も多いようですし……

 

 練習場に行っても、キャディバッグに練習器具を入れている方も、多くお見かけしますし……

 

 まあ、要するに私のゴルフへの理解が足りないということなんだとは思うのですが、練習器具メーカーさんには失礼ながら「その商業戦略には乗りませんよ、私のようなレベルの趣味のゴルファーを惑わして、大切なお金を使わせないでくださいね」というのが、本音です(笑)。

 

 (そう言いながら、「ゴルフ練習用品」のバナーなどが貼られているのは、ご愛嬌ということで、どうか寛大にご容赦願います笑)

 

 とはいえ、練習器具の上手な使い方があれば、私も取り入れてみたいです。どなたか詳しい方いらっしゃいましたら、ぜひご教示いただければ幸いです

色のある世界

 「ゴルフ熱中記」というコラムタイトルながら、最近ゴルフに関係ない記事も増えてきており、すみません(笑)。

 

 最近、なんとなく思ったことです。

 

 休みの日に、天気が良くて、特にすることもなければ、妻と散歩に出ます。

 近所を30分から1時間ほど歩いて、スーパーで買い物をして帰ってくる程度のものですが、歩いていると、妻が「あ、お花が咲いてるよ」とか、「空の色がきれいだねー」とか、よくそんなことを言います。戸建てのお宅に植えられている木が芽吹いたり、つぼみをつけたりすると、そんなことにも気づくようです。

 「おー、芽が出てる」とか「あ、つぼみだ」とか言って、しばし立ち止まって楽しそうに眺めてたりします。空がきれいに夕焼けに染まれば、その色を見て感動したり。とにかく、「自然の色」に対して敏感というか、自然を感じるセンスがあるというか。

 

 そんな妻に対して、つい最近までの私は

 「ふーん」「へー」「ほー」「よかったねー」

 などとテキトーに相槌を打つだけだったのですが、長い時間をかけて影響されてきたのか、このごろ私も「自然の色」を感じることができるようになったような気がするんですね。

 

 「あ、花が咲いたな」とか「今日の空はきれいだな」とか、そのくらいのことですが、「自然の色」を感じるセンスがほんの少しだけでも、身についてきたように思うのです。

 

 都市部でも街を歩けば木も植えられているし、花も咲いているし、空はあたりまえのように広がっているわけですが、私はそれらに対して特に興味・関心を抱かず、これまで生きてきたんだなと思いました。木々の緑も、カラフルな花も、そこにあるにもかかわらず私の目には映っていなかったという感じです。空の色にしても、「はれ」「くもり」「あめ」の3区分しかない感じでした(笑)。

 

 でも、街を歩いているだけで、花の色、木の芽吹きやつぼみ、時間によって変化する空の色を感じて「きれいだな」と思える妻と、特に何も感じない(つい最近までの)私では、ちょっと大げさかも知れませんが、幸せの絶対値が違っていたのかな、と思うようになりました。

 

 妻は色のある世界に住んでいて、私は色のない世界に住んでいたといえるわけで、どう考えても色のある世界に住んでいる方が、幸せだよなぁ、と。

 

 色を感じることができる妻は、ただ街を歩いているだけで幸せを感じることができているのではないか?と思うようになり、なんだか私は今まで、ずいぶん損をしてきたような気がしています(笑)。

 

 これから初夏のいい季節になりますから、たとえばゴルフコースに出たときも、趣向のある植栽など、季節や時間ごとのさまざまな色を私も楽しめるようになるかな、なんて思いました。

 

 実際はコースに出ると、私の腕前では右往左往するばかりで、せっかくの風情を楽しむ余裕を持てないんですけどね……

 

 色を楽しむためにも、がんばって練習して、腕を上げようと思います(笑)。

尾崎豊(2)

 押入れの奥に乾燥剤とともにしまっていた、昔のCDを取り出してみると、つい時間が経つのを忘れて、一枚一枚手に取って眺めてしまいました。1980年代の終わりから、1990年代の中ごろにかけてのものばかりですが、深夜に一人でジャケット写真を眺めたり、歌詞カードをパラパラとめくったりしていると、時間が止まった世界に身を放り込まれたような奇妙な感覚を覚えます。

 

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 (初期のアルバム3枚。)

 

 尾崎のCDはすべて持っていますが、それらを取り出したはいいものの、少し躊躇を覚えました。

 ほかの歌手のCDなら、何も考えず、ただ懐かしさだけで笑顔すら浮かべながら、ただ楽しく眺めることができて、何枚かは実際にCDプレーヤーに乗せて聴いたりすることもできましたが、尾崎のCDだけは、それを躊躇し、結局聴けないままに元に戻してしまいました。

 

 私が高校を卒業したのが1994年の3月で、その後しばらくして、ほんの些細なことをきっかけに、以前から不仲であった父との亀裂が表面化し、決定的なものとなり、私は家を出て、見知らぬ街で暮らすことになりました。

 今思うと、まだ19歳、20歳のときのことですから、様々な形のない不安があっても、若い身体が覆い隠してくれた時期だったのでしょう。

 

 生まれ育った街から遠く離れた街で、時間や季節の流れに無自覚でいることができたおそらく最後の時期に、その数年前に亡くなった尾崎に出会うことになりました。

 

 尾崎が亡くなった1992年4月27日、私は何の興味も持ちませんでしたが、それから環境が激変した数年後に出会った尾崎の世界というものは、私には衝撃でしかなかった。

 

 「答えが、すべてここにある」と感じて、それからの私はアルバイトでもらったお金のほとんどを尾崎のCDや、その関連本などに費やしました。

 

 世の中では「Windows95」が上陸し、まさにデジタル時代が幕を開けようとしていましたが、まだカセットテープが元気で、「MD」すらなかった時代です。「CDコンポ」という高価なアイテムが若い世代の憧れだった最後の時代に、私は「CDラジカセ」で、ひたすら尾崎のアルバムを少し贅沢して買った「ハイポジ」のカセットテープに「ダビング」して、外出時のウォークマンでも、安い中古車のカセットオーディオでも、狭い部屋のCDラジカセでも流し続け、とにかく24時間「彼」と一緒に過ごしていました。

 

 当時交際していた女の子が、「おかげで、尾崎の曲ぜんぶ覚えちゃったよ」と言っていたのを思い出して、ちょっと懐かしいです。

 

 「答えが、すべてここにある」と、本気で思っていたのです。彼の音楽を聴きながら、まるで文学作品を読むのと同じ気持ちで、付属の歌詞カードを何度も何度も繰り返し読んで、ボールペンで書き込みをして、アンダーラインを引いてと、そんなことをしながら私は、彼の世界に引き込まれていきました。

 

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 (当時ラインマーカーって今みたいに色の種類があまりなくて、たぶんイエローが定番でしたね。書き込みは恥ずかしいので、書き込みのないページを選びました笑)

 

 それは「中毒」に近いものでした。42歳になった今、誤解を恐れずに正直に言えば、当時の私にとって、尾崎の音楽を聴くことは、強烈な「鎮痛剤」を打つのと同じだったのです。もっといえば、「麻薬」のようなものだったかも知れません。

 

 何もかも意に沿わない、自分が抱く理想とはかけ離れた現実しか送ることができなかった当時の私は、まるで薬物に依存するかのように彼の音楽にのめり込み、そして、今だからこう思うことができるのですが、彼の音楽の中に「沈んで」いきました。

 

 そんな毎日に限界が来たとき、私は尾崎の世界から去ろうと決めました。尾崎が悪かったとかそういう話では決してないです。彼がいなかったら、今の私はないと思います。ささやかながら仕事という形で社会での役割を与えていただき、妻に恵まれ、ゴルフというかけがえのないものに出会うことも、彼がいなければ、すべてなかったことだと思っています。

 そして、私のような形のファンを、尾崎はおそらく望んでいなかったということも、今は思います。

 

 感傷的な表現になりますけれど、23歳のとき、文字通り私は、尾崎と別れました。

 

 あれから20年、一度も彼の音楽を聴いていません。今回、CDを取り出して、ジャケット写真や歌詞カードの一部をスマホで撮影しても、そのCDをプレーヤーに乗せることはしませんでした。というより、乗せることができなかった、というのが正しいかも。乗せたら、20年前の自分に戻ってしまう気がしたのです。

 

 あくまで私個人の、尾崎豊という稀代のミュージシャンとのかかわりは、そういうものでした。

 

 お読みいただき、ありがとうございました。

 

 どうしたって、今と、明日を見つめて生きていくしかないんでしょうね。そんなことを思いました。

 

 最後に、私がいちばん好きな彼の作品はといえば……

 

 うーん、全部好きですが、一つ選べと言われたら、いちばん最初の「街の風景」、あとはダンスホールかなぁ。

 

 もしこのブログをお読みいただいている方で、尾崎のファンの方がいらっしゃったとしたら、あなたは何がいちばん、お好きですか?

尾崎豊(1)

 最近、ある方がお書きになった文章を読む機会があり、その文章によって、私が忘れていた、というより意図的に忘れようとしていた、あの伝説的ミュージシャン尾崎豊のことを思い出しました。

 

 より正確にいえば、「尾崎豊に心酔していた時代の私自身」を思い出したのです。

 

 「中年オヤジのゴルフ本レビュー」の中のコラム記事なのに、尾崎のことを書かせていただくというのは少し妙な気もするのですが、どうしても、書きたくなりました。おそらく1度の記事では書ききれないので、数回にわたることになるかも知れません。どうか、ご容赦いただければと思います。

 

 おそらく、あまり音楽シーンに興味をお持ちでない方でも、その名はどこかで聞いたことがあると思われる、伝説のミュージシャン、尾崎豊。1965年11月29日生まれ、1992年4月25日、27歳の若さで死去。当時の日本社会に、強烈なインパクトを与えたミュージシャンです。

 

 1975年生まれの私は尾崎の10歳下になりますから、尾崎の絶頂期より少し遅れて、彼の音楽に接しました。

 

 尾崎が亡くなった1992年4月は私は16歳で、数か月後に17歳になろうという年でした。その頃の私、どこにでもいるフツーの高校生で音楽好きの私はもちろん彼の名を知ってはいましたけど、まだ彼の音楽を聴いたことはありませんでした。

 

 尾崎が亡くなった日の翌日の新聞、特にスポーツ新聞は各紙ともに一面トップで、その後伝説となるカリスマの早すぎる死を特集していました。

 

 その日私は5時起きで、確か八王子の方の高校との練習試合が組まれている日だったと思います。試合がある日はいつもそうであるように、5時に起きて母が準備してくれた軽い朝食をたべて、6時前には自転車で家を出て、京王線のつつじが丘駅近くの駐輪場に自転車を置きました。時間に余裕があったので、駅売店でカロリーメイト(フルーツ味)」を1パックと缶コーヒー(「BOSS」)、そしてスポーツ紙「日刊スポーツ」を一部買い、「高尾山口」行きの各駅停車に乗りました。

 

 早朝で西へ向かう京王線の車内は空いていて、私は当時母に無理をいって買ってもらったウォークマンで流行りのポップスを聴きながら、買ったばかりの日刊スポーツに目を通すのですが、飛び込んできたのは私が読みたかった野球関連の記事ではなく、尾崎の死でした。

 

 「へー、尾崎って死んだんだ」

 

 そのくらいの感覚しかなく、彼の死の意味を理解することもなく、すぐに紙面を繰って、読みたかったプロ野球関連の記事に目を通し、また当時の高校2年生にはちょっと刺激の強い「大人向けの記事」を読んだりして浮ついた気分になりながら、あとは終点の高尾山口に着くまで眠ってしまったのを覚えています。

 

 今思えば、1980年代後半から始まった「バブル経済」の終焉を迎えることなった1990年代の初めは、それでもなお「バブル」の余韻を引きずっていた楽観的な時代で、その後長く暗い時代に突入することになることを、多くの人は予期していないという空気感が流れていました。当時高校生の子どもだった私はもちろん、そんな空気感を自覚していたわけではありませんでしたけれど。なんとなく、いい時代が続いていると、そんな空気が流れている時代でした。

 

 その日は、私にとっては八王子の方にある高校と野球の試合をして、結果を出せず監督さんに怒られて、夕方家に帰って好きな音楽やFM放送を聴き、夕食を食べて、フジテレビの深夜番組をちょっとだけ観て、ファミコンダービースタリオン全国版」を遊んで、午前2時前には寝る、という日でしかありませんでした。当時の私の日常では、ありふれた一日でしかなかったです。

 

 それから数年後、私が「彼」に心酔し、傾倒していくことになるとは、この日は夢にも思っていませんでした。彼がこの世を去ったことなど、翌日の教室でちょっと話題になったくらいで、その後は(おそらく他の仲間たちも同じように)すぐに忘れてしまい、彼には到底及ばないミュージシャンたちがデッド・ヒートを繰り広げる「ミュージック・チャート」に夢中になるという、ある意味「普通の高校生の日常」に、私も、同級生たちの誰もが身を置いていたのです。

 

 私は、やがて高校を卒業して、20歳になった頃に、その約3年前にこの世を去った稀代のミュージシャンの「凄み」に、圧倒されることになります。

女神の微笑み

 サロンパスカップ最終日は、独走で逃げ切るかに思われたイ・ジョンウン6プロが突然自ら崩れ落ちていく中、前日から静かに追い上げ、一気に優勝争いに顔を出した申ジエプロ、そして鈴木愛プロの3人による激しい争いとなりました。

 

 勝負の分かれ目は鈴木プロが申ジエプロに1打差リードで迎えた17番パー5、申ジエプロがイーグルを奪い逆転、このホール鈴木プロはパーで耐えるも、最終18番でボギー。申ジエプロはパーセーブで見事優勝、鈴木プロは単独2位、また大会を盛り上げた立役者、イ・ジョンウン6プロはボギーで単独3位という結果となりました。

 

 鈴木プロは残念でしたが、途方もない重圧の中でも、ご自身の好プレーに対してギャラリーから送られる声援にはしっかり応えつつ、見事なプレーぶりでした。あんなギリギリの状況でも、彼女には自分に送られる声援がちゃんと聞こえており、それに対しては短くともしっかり返答をするという姿を見て、礼儀正しい、素敵な人だなあと思いました。

 

 私もそのような人間でありたいと思いますが、なかなか……

 まだお若い鈴木プロに、いろいろ教えていただいている気がします。

 

 私は、今日はテレビ観戦していたのですが、終盤の白熱の優勝争いをみながら、「勝敗を分かつもの」とは、いったい何なんだろうなあ、と思っていました。

 

 このレベルの争いになると、日々の努力とか、行いとか、そういうところに差はないような気がするんですね。それでも勝敗は必ずつくわけで、それを決めるのは何なのかと思いました。

 

 プレーしている選手の方々は、勝敗という結果について、それを分かつ原因としてご自身の技術や、メンタルなどをストイックに追及されると思いますが、あれほどの高いレベルの争いになると、何か選手の方々ご自身の力では左右しきれない、何か人間の想像を超えた大きな力が、結果を左右するのかなと。よくいわれるように、「女神がほほ笑む」かそうでないか、ということなのかな、と。

 

 現PGA会長の倉本昌弘さんが、惜しくも優勝を逃した選手に対して、よく「今週は〇〇選手の週ではなかった」という表現をされます。私はこの倉本会長の表現がとても好きで、「努力にも、そして磨いてきた技術にも、何も差はない。ただ、その週の女神はたまたま微笑んで下さらなかっただけだ」ということなのだと思います。しかも女神は、誰に味方しようとか、誰を負けさせようとか、そんなことは考えず、ただ気まぐれに微笑みの相手を決めるのかな、と。

 

 最後まで激戦を争った鈴木プロ、イ・ジョンウン6プロも、たまたまサロンパスカップのあった今週は、「鈴木プロの週ではなかった」「イ・ジョンウン6プロの週ではなかった」ということなのだと思います。

 

 そんなことを思いました。

 

 17番の申ジエプロのイーグルからは、ゴルフは真っすぐ打っていくことがどれだけ大切であるのかを、改めて教わった気がします。1打目、2打目とも、ピンに向かって一直線を描くストレートボールで、素晴らしかったです。

 それにしても申ジエプロは、最初から上位に顔を出しトップで独走するというより、決勝ラウンドに入るといつのまにか上位に浮上してきて、最後一気にチャージして結果を出す、という勝ち方が多い気がします。私は個人的に、そんな戦い方をする申ジエプロを「サイレント・キラー」と呼んでいます(笑)

 じっと静かに身を潜めて好機をうかがい、ここぞというところで、一撃で相手を葬る感じ。いい意味で、けっこう怖いなあと(笑)

 今日の17番イーグルなど、まさにそんな一撃だったと思います。

 

 GWも終わってしまいました。次は夏休みまで、まとまったお休みのないという方も多いと思います。私も同じです。

 

 明日も元気で、いい一日になるといいですね。

 

 それでは本日はこのあたりで。

 

 おやすみなさい。

サロンパスカップ3日目

 今日は、「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」(茨城GC西コース・茨城県つくばみらい市)3日目を観戦に行ってきました。

 

 つくばエクスプレスみらい平駅近くの駐車場にクルマを停めて、駅前からギャラリーバスに乗って会場へ。7時半に到着しましたが、本日はよく晴れて、すでに多くのギャラリーが詰めかけていました。

 

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 私と妻は、ギャラリープラザで軽い朝食をとりながら、ペアリング表を片手に、さて今日はどのように観戦しようかと考えましたが、今日の目標は「18ホール歩こう」ということになりました。

 

 ツアー観戦に行って「18ホール歩こう」という目標って、なんだそりゃ?と思われるかも知れませんけれど、いつも特定の組について18ホールを順に巡るということはせず、気になる選手の入っている組をいろいろ見て、疲れてきたら比較的ギャラリーの少ないホールの良い場所を確保して、そこで定点観測するという形で観戦していましたので、18ホールの中には足を運ばないホールもいくつかあったんですね。なので、今日はとにかく全部のホールを歩こう、と。

 

 また、自分たちのふだんのラウンドだとほとんどがカート利用ですから、考えてみると18ホールを歩いて回るというのは、私のような趣味のアマチュアには、ほとんどないのでは?ということもありました。

 

 そこで、今回はトップスタート(8:45)の第1組・川岸史果プロ諸見里しのぶプロの組について、まず9ホールを観戦しました。

 

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 第1組は2人ペアということもあって、サクサクと小気味よいペースで進んでいきます。最初の9ホールを、私の時計では1時間半ジャストくらいで終えていました。9番を終えたとき、次の組(李知姫プロ、キム・ハヌルプロ、永峰咲希プロ)に30分近い差をつけていましたからね。

 

 私がゴルフを始めたころ、まさに波に乗って絶頂期にあった諸見里プロをしっかり見れたのは楽しかったですし、昨年待望の初優勝を挙げた川岸プロも魅力的な選手でした。

 

 個人的な印象では、早い進行の中でも、そもそも歩き方から意識してメンタルをコントロール、凛々しさを感ずる諸見里プロに対して、自然体でやわらかく、ほんわかとした大らかさを感じる川岸プロ、そういう違いも感じて楽しかったです。川岸プロの自然体は、ご自身も選手として超一流(といって良いと思います)といえるお母様(喜多麻子さん)がキャディを務められていたことも大きいのかもしれません。

 

 それにしても、川岸プロは飛びますね。パー3を除けば、ティショットは毎ホールとも諸見里プロを20~30ヤードくらいオーバードライブしているように見えました。常に距離で差をつけられて、毎回先にセカンドを打つ格好にならざるを得ない諸見里プロも大変だなぁと思う一方、逆にいえば、常にセカンドを先に打ってポジションを取っていけるともいえるので、かえって優位に立てる部分もあるのかな?とも思いました。

 

 9ホール見たあとは、休憩もかねて、スタート前の選手のショットやパッティングの練習風景を見学し、最終組の鈴木愛プロのティオフを見ました。鈴木プロはショット練習場、パッティング練習場でも、際立つオーラがありました。

 ティショットを放ってフェアウェイを歩き始めるところで「愛ちゃーん、がんばってー!」と声をかけた妻に、笑顔で反応してくれた鈴木プロ。多くのファンを集めているのも納得!です。

 

 その後は10番から18番まで、とにかく歩いて、15時ごろには会場を後にしました。

 

 18ホールを「ウォーキング」のつもりでしっかり歩くと、けっこう疲れますね(笑)。帰宅して、すぐに寝てしまいました。

 

 明日は最終日。そしてGWも最終日。

 

 そう思うとなんとなくさびしい気もしますが、誰にとっても、明日が良い一日となりますように。